2020年8月10日

蒔いた種を刈り取る

 真夏が来たと思ったら、すぐ立秋になりましたね。

今年の夏もたしかに暑いけど、数年前の長くて暑い夏に比べると、まだずいぶんマシなように思います。

そんな暑い夏真っ盛りの今日、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

何の前触れもなしに、「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」という聖句について書いてみようと思いました。

これは聖書に書いてあると言われていますが、私も意識してこの表現を探したことがないので、ホントのところ、どう書かれているのかは知りません。ですが、日本人は「因果応報」という仏教の因果律に馴染んでいますから、すんなり頭に入ってくる言葉ではないでしょうか。

ただ、あいにくなことに、「因果応報」自体、けっこうマイナス面に限って使われる懲罰的表現なので(悪いことしたら悪い結果が出るのはあたりまえだろ、みんなお前が悪いんだよ的な)、お釈迦様はきっとあの世で哀しんでおられると思います。(そんなつもりで言ったんじゃないのに~~)

そして、また残念なことに、この「蒔いた種」も同じような捉えられ方をされることが多いのではないかなと思います。(そんなつもりで言ったんじゃないのに~~)

小さいときは可愛かったのに、大人になったら残念な人間になって親を困らてせる・・・と嘆くあるお母さんに「自分で蒔いた種は自分で刈り取れって言葉があるように、自分が育てた子がどんなに困った大人になっても、最後まで向き合わないといけないもんです」と言ったことがあります。(えらそう)

ですが、どうも、この聖句は、本来、そういうマイナス面を強調するような言葉ではなく、佳き種を蒔くと、どんどん育って佳き実りをもたらす。どんな小さな種でも、蒔いたら、何倍にも育って素晴らしい実りをもたらしてくれるから、佳き種を蒔きましょう、というのが本来の意味なようです。因果応報だって、良くも悪くもそういう因果律が働くと客観的に言っているだけで、みんなお前のせいだと自己責任を追及してるわけじゃない。


因果律は宇宙の法則ですから、取るに足らないと思われるどんなに小さな善行でも、時季がくれば、大きな実りに育ってることに気づくはずです。最初からどでかいことをする必要はなにもない。小さな種を蒔きましょう。それはいつからでもできます。


タロットのペンタクル7のカード。蒔いた種がまさに実った状態

ケース1:うわ、こんなにいっぱい実がなった。嬉しいけど、何に使おかなあ・・・と悩む農夫さん。(けっこうな退職金をもらったけど、使い道ぜんぜん考えてない人状態)

ケース2:あんなにいっぱい種を蒔いたのに、え、これだけ?とがっかりする農夫さん。(想定外な退職金の少なさに茫然とする人)


何が佳き種かって、自分の良心が喜ぶものが佳き種だと私は思います。

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