2019年8月16日

じつは奥が深いファッション

昨日は、お盆と満月と台風がいっぺんに来て、盛りだくさんな日でしたね。
朝の雨にはビビりましたよ。まだまだ遠くにいるはずなのに、もうこんな暴風雨!
が、その後は拍子抜けするくらいしょぼい雨で、離れたところほど想定外な影響を及ぼすという、この台風は食わせものでしたな。

さて、じつはお盆の怖い話でも書こうかと思ってたんですが、食えない台風のスカシっぷりに負けて、ぜんぜん違うことを書こうと思います。

レイキ屋さんなのに、ファッションって・・・
畑違いもいいとこやね・・・

ま、一種の文化論として読んでください。

私は、40代から50代のはじめにかけて、地球をあちこち歩き回っていました。
フライトチケットだけ取って、あとはまるっきし一人旅ですから、なんといっても英語くらい聞けて話せないと乗り切れない。
そう思ったので、40代の頃は、あの手この手で英会話のレッスンに励んでいました。

アメリカ英語よりイギリス英語派だったので、学校選択がけっこう難しく、初めて入った語学学校は、当時、天神にあったブリティッシュ・カウンシルのクラスでした。そこで、1・2年、勉強させてもらいました。

その後、ブリティッシュ・カウンシルが福岡からなくなってしまったため、もっぱら個人レッスンに頼らざるを得なくなりました。
先生も何人か渡り歩きましたが、その中に、日本人と結婚して専門学校で英語を教えているDという先生がいました。もちろんイギリス人です。歳もけっこういっていて、まあ、りっぱな中年ですな。(自分のことは棚にあげてよく言うよ)

彼が、超オシャレ!という話じゃないですよ。(あらかじめ断っておく)

ご存じの方はご存じですが、語学レッスンのフリートークというのは、毎回トピックを探すのが大変です。とにかく、なにかについて話さないといけないわけですから、出せる限りの話題を出して、話します。

でも、そんなに毎日変わったことが起こるはずもなく、毎週、映画見に行くわけでもなく、自然、話題は、家族の話やら、家でなにをしたとか、そんなことに落ち着いていきます。

まあ、どんなことでも、しゃべればそれが練習になるので、話題はなんでもいいっちゃあいいわけです。だから、会話クラスの生徒同士は、互いの家族状況や、仕事内容や、個人史まで知ってしまうわけですね。

そんな会話レッスン、D先生とのレッスンはプライベートレッスンなので、いっそう、よもやま話が多くなります。
しかも、私も大学で日本語を教えている現役の語学教師だったので、同業者の気安さで、テキストそっちのけで余計な話ばっかり。苦笑

あるとき、イギリスに残した母の話になりました。

現地では、実姉が母の面倒をみていたようで、久しぶりに妻子を連れて帰国したら、要介護状態に陥っているのを見てビックリしたと。

どこの国でも、老人介護はたいへんです。イギリスなんかは日本より介護ケアは進んでいるかもしれませんが、日本より在宅指向なので、家族の負担もそれなりにあると思われます。(当時はこんなこと何も知らなかったけどね)

で、久しぶりに対面した懐かしい母が、ジャージの上下を着せられているのを見て、彼は驚くとともに、深い悲しみと怒りを感じたそうです。

え、ジャージ? いいやん、活動的で。

そう思いました。私も家ではジャージだったし。
なんで、彼がそんなに悲しんでいるのか、姉に対して怒っているのか、さっぱり分からなかった。

で、なんでジャージがダメなのか、聞いてみました。
すると、逆に、意外そうに、ちゃんとした格好をさせるべきやろ、と言うのです。

「ちゃんとした格好って?」
「ブラウス着て、スカートはいて」

え?ちゃんとした格好ってそういうの?
(あたしゃブラウス+スカートって何年も着たことないよ・・・)

ジャージは、たしかに介護はしやすいでしょう。
でも、まともな女性の着るもんじゃない。
齢を重ねたレディが身に着ける服じゃない。

この感覚が、洋服の基礎を打ち立てた国の人の、着ることに対する基本感覚なんだと、今にして思い至ります。

ファッションというより人間の尊厳の問題だったのです。

あるべき姿?

日本人にとって、洋服は、明治の文明開化以降の借り物です。
見よう見まねで、それらしく装ってるだけですが、洋服の歴史が長く続く当地では、服は人間の一部としてあるわけですね。基本の装いは代々受け継がれ、長く続いています。どんな時に、どんなものを着るか。日本人が空気を読めるように、当地では、年齢、性別、職業による装いわけみたいなものが、不文律としてあるんだと思います。

当時は、そんなこと何も分からなくて、お婆さんにジャージはダメなのか、女性の正当な服はブラウス・スカートなのか、こいつ、頭、堅いな、そんなふうに思っていました。(ぶっちゃけ告白)

近頃、いろいろ勉強するなかで、現代服はもともとイギリス服を基礎とし、フランスのセンスで変化をつけるのがファッションだということを知りました。

私たちの中には、そういう装いの基本みたいなものは全然育ってなくて、親から子へ引き継がれる服のイロハなんてものもありません。着物文化が消滅してしまいましたからね。洋服に関しては、独力で努力して蓄積するしかありません。空気が読めるような文化の蓄積はないんですね。

世界中、ユニクロ着てても、基本感覚は国々でかなり違うということを、近頃、改めて感じています。

表面を見るだけでは、核心はなかなかつかめませんね。なにごとも。



sakurako

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