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2020年10月23日

ワインが恋しい季節です

 ひょんなことから昔のブログ記事に遭遇しました。

ワイナリーめぐりの記事ですが、懐かしさに涙ちょちょぎれてしまいましたわ。

勝沼ぶどう郷ワイナリー巡り

https://inoxsakurako.hatenablog.jp/entry/20131101/p1

またワイナリーめぐりしたいなあ・・・(もはや飲めないが)



GoToにもお勧めです。


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2020年9月21日

レイキ伝授を受ける前に起こる不具合

 レイキを受けた後の好転反応については、このブログでも何回も書いてきたので今さら取り上げませんが、今日は、受ける前に具合が悪くなる現象について、私なりの思いをつづってみたいと思います。

長年(てほどでもないけど)レイキ屋さんをしていると、予定どおり伝授を受けられない、あるいはそれ以前の問題として、予約そのものが成立しないお客さんというのが、一定数いらっしゃいます。

どの方も、すごく楽しみにされてらして、決して、迷いがあるとか、後ろ向きとか、そういうことは一切ありません。

前向き前向きに、伝授を心から楽しみに予約されます。

ですが、メールが行き違って予約そのものができないとか、予約がうまくできても、いざお金を振り込む間際に、あ、やっぱムリ・・・となってキャンセルされるとかいう事態が起こったりします。

なんでそういうことが起こるのか、不思議っちゃあ不思議ですよね。

予約成立に至らないケースは、やはり両者の波動の違いが大きいのではと思います。

私自身、昔、発展系レイキの伝授を検討していたとき、ふたつのサロンの間で、こういう不思議な行き違いを体験しました。最初のサロンからの返信メールが、こちらに届かなかったんです。待てど暮らせど来ないから、あきらめて、別のサロンに決めました。で、だいぶたってから、最初のサロンから、お返事はまだでしょうか??というメールが届いて、ビックリ。

予約が成立しないときは、ティーチャーにとっても、生徒さんにとっても、一番ベストな結果に落ち着くよう、宇宙が采配してくれているんだと、今では思っています。なので、予約が成立しなくても、ぜんぜん気にすることはありません。


いっぽう、予約やら送金やらもクリアして、さあいよいよ伝授当日となったとき、家族がいきなり体調不良になるとか、自分が具合悪くなるとか、ムリして出かけても体が前に進まないとか、クルマが途中で故障するとか、駐車場が見つからなくて30分以上遅刻するとか、様々な不具合が起こって伝授が受けられなくなることがあります。

こういう場合、受講中の生徒さんなら日時が延期になるだけですが、対面もしていない初めての方とは、正式キャンセルとなり、お会いすることはなかったです。

さて、このような、伝授当日になって出てくる不具合、これはいったいどういうことでしょう。

やめろという宇宙のサインなのでしょうか?

生徒さんの恐怖、怖れ、不安が引き起こしたものなのでしょうか?

色んなことが考えられると思いますが、たとえば、こんなことが近いのかなあと思います。

私自身は、レイキ伝授当日に不具合を経験したことは一度もありませんが、毎回、毎回、不具合ばっかしなことがあります。

それは、海外一人旅に旅立つ当日です。

40代のころ、狂ったように旅していました。

自由に家をあけられるようになって、自由に使えるお金もできてきた頃、暇さえあれば、次はどこに行こうかと、旅のリサーチばっかりしていました。

旅するのが楽しくて楽しくて、なかでも何が一番楽しいって、旅のスケジュールを自分で立てて、フライトや宿や移動手段やらを効率的に予約して、ツアープランを組み立てるのが、一番楽しい時間でした。旅の醍醐味は、実行よりプランニングと感じていたほどです。(でもやっぱり現場がいちばん楽しいものよ)

だから、出発当日は、準備万端、自分で組み立てたプランに沿って、粛々と行動していけば、ぜったい希望通りの旅ができるという100%の自信がありました。まあ、予定通り、思惑通り、期待通りではないことは必ず起こるので(というかそればっかり)、そこはそれ、それも旅の貴重な味わいではあります。

で、数カ月かけて準備したプラン、楽しくて楽しくてしかたない旅に出かけるその日、空港に向かう足取りは、じつに、鉛のようにずっしりと重いのです。

できれば行きたくない、うちでゆっくりしていたい、なんでこんなしんどい思いしてまで危険な苦労をしに出かけるんやろ、やめたいやめたい、ああもういやだ~~、なんかお腹痛くなってきたわ・・・

呪詛のように口の中で繰り返しながら、足をひきずりひきずり、空港へ向かう私。

なにが哀しくて、苦労ばっかしの一人旅に出かけるんやろか・・・家にいたら楽ちんなのに・・・

あきらめがつくのは、飛行機の座席に納まって、映画を見始めてからです。(もう引き返せないし)

楽しみでたまらない旅に出かけるのに、なぜ、こんなに心が重くなるのか。

でも、だからといって、やめるわけにはいかない。やめたら絶対あとで後悔するし。お金もムダになるし。

毎回毎回、判で押したように、そんな葛藤とたたかいながら、私は旅に出ていたのです。

で、思うのです。

もしかしたら、伝授当日、具合悪くなるかたも、こんな状態なのかもしれません。

やめるかどうするかは、ご本人次第なのでしょう。


南ドイツ
ケルトの聖なる山

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2020年8月14日

亡霊と過ごした夏~お盆の思い出~

 これは以前、古いブログに書いた記事ですが、時節柄、ちょうどいいので、再録してみました。


太平洋の真ん中にミクロネシア連邦という国がある。607の島々からなる島嶼国家である。16世紀以降、スペインやドイツに植民地支配され、太平洋戦争時には日本の管理下にあった。戦後はアメリカの信託統治となり、1979年に、名目上、独立国家となった。



2002年の夏、ミクロネシアに住む友達を訪ねて、日本から友人と2人で遊びに行った。

現地に住む友達は、現地の高校で日本語を教えていた。連れの友人はロシアで、私は日本で日本語を教えているという日本語教師仲間。そして、現地友人の住処であるアパートにもうひとつ部屋を借りて、2週間滞在した。


スぺイン統治の名残り


かつてはレムリアの首都かと騒がれたこともある謎の巨石遺跡(ナンマドール)や、太平洋一と言われる美しい海を毎日楽しむという、絵にかいたようなサマーバケーション。


人物は消しました


ナンマドール遺跡

子ども達のダンスショー。ハワイみたいな観光地じゃないので、大人のプロはいない。今はどうかしら?

こちらが先生。立ってるだけで分かる。さすが先生やね。


海にも観光にも飽きてきて、さあ、今度は何をしようとなった時、ちょっと面白いところがあるってことで、旧日本軍の戦跡ツアーをすることになった。太平洋海戦の主戦場だったこのあたりの島々には、旧日本軍の戦跡がいたるところにある。

で、行き先は、メインアイランドから水上タクシーで15分ほどの小島ランガルー島。

島に着くと、友達はまず、島の酋長のおじいさんのところに挨拶に行った。島の酋長は、ミクロネシアでは法律より力のある存在なのだ。

その酋長さんは、イメージしてた様子とはかなり違っていた。

びっくりするほど立派な体躯で、しかも、これまたビックリするほど優しい目をしたドイツ系ハーフの映画スターのようなおじいさん。笑

「今から戦跡ツアーやらしてもらいます!(←現地語ペラペラ、さすが語学教師!)」と友達が挨拶すると、おじいさんは、そんならこの子たちに案内してもらうといいと言って、中学生と小学生くらいの兄弟2人に懐中電灯を持たせて付けてくれた。

で、犬と現地ボーイ2人と日本人女子3人のツアーグループは、ヤシの木の森の中をずんずん歩いた。

島は熱帯性の樹木や雑草におおわれていたが、よく見ると、海沿いに日本軍のつくったコンクリートの舗装道路があった。なかば砂に埋もれてはいたが、現地人がつくったのではないことは 一目瞭然だ。その道ぞいに、朽ち果てた鉄の給水タンクや戦車のような重機類がうち捨てられ、放置され、ほしいままにつる草におおわれている。おお、これが戦跡か…

廃墟マニアな私も、これだけで十分満足していたが、ふと見ると、子どもたちはそんなものには目もくれず、さっさと歩き続ける。

どこまで行くのかな?と不思議に思っていたら、道からちょっとそれたところで、ごそごそ葉っぱをかき分け、なにやら地底への入り口のような狭い穴を掘り出した。

鉄格子の扉を開けると、するりと体を滑りこませ、我々にこっちへ来いと手招きする。ええっ、こんな狭い穴の中に入るんかい?? こわいやん…

しかしまあ、ここまで来て帰るのも何なので、続いて滑りこむと、中はあっと驚くほど広かった。

天井も床も綺麗にコンクリートで成形されたトンネルの中に我々はいた。

こりゃ基地?防空壕? 

こんな太平洋のど真ん中の辺鄙な小島なのに、国道のトンネルにも見劣りしないほど細部まで綺麗に仕上げられている。

あまりの美しさ、丁寧さにびっくりして、口あんぐり。ジャパンテクノロジーの凄さを、改めて思い知った。

そんな驚きをよそに、子どもたちは得意げに、踊るような足取りで色んな部屋を通り過ぎ、なおもずんずん奥へ進む。

そうして、一番奥のスペースに辿り着くと、入口からの光も届かぬ真っ暗闇の地底世界。懐中電灯の意味を初めて了解した。

不気味な暗闇の中で、一人が「ここで記念写真撮ろう」と言いだした。(誰や!?あ、あたし…)

記念撮影にはいるのを断固拒否した友人をカメラ担当にして、我々は子どもたちと一列に並んだ。

「左の人、もうちょっと寄って。はいらんよ」などとカメラ担当が日本語で言うので、あんた、日本語で言ってもこの子ら分からんよ…と心の中でつっこみ入れながら、撮影終了。

終わると、カメラ担当者は、なぜか一目散に来た道を駆け戻り入口の開口部に突進する。

みんなが穴から出ると、子どもたちはまた丁寧に格子の扉を閉めた。

暗闇の中から出ると、さすがに南洋の太陽は眩しく、さっきまでのことが夢のように思われた。

眩しい光の中を船着き場までぶらぶら歩いていると、カメラ担当の友人が妙なことを言いだした。

「写真撮った時、うちら何人やった?」

「え、何人って、あなたカメラ持ってたし、並んでたのは私とMさんと子ども2人だから4人でしょ」

「そうだよねえ…4人よねえ…… でも、5人いたんだ…」

「はあ??」


妙なことを言いだした本人は、だが、その夜も平和に爆睡していた。

しかし、私は大変だった。

明らかに、連れて来てしまった。

ていうか、ついてきてしまっていたのだ・・・


メインは一人、記念撮影に並んだとおぼしき若い日本人兵士。

しかし、その夜は彼だけじゃない、仲間みんな引き連れて、わいわいうちらの部屋にやってきていた。

我々が借りていた部屋はけっこう広くて、10畳くらいの寝室とは別に、広々としたLDKがあった。で、姿なき人々は、リビングのほうでわいわいやっているのが私には分かった。時々、寝室にまで入ってきて、じぃーっと顔を覗き込むのも感じた。ああ、連れて来ちゃったよ…どうしよ…と眠れぬ恐怖の一夜を過ごした私。

旅行中は日付や曜日なんか全然頭にないが、気づけばその日は8月13日。

あちゃ~!と思いつつ、こうなったら供養するっきゃないと観念して、14日からは食事も一人分多く作ってお供えし、線香代わりにインセンスを焚いてお経をあげた。

一日、供養に努めたが、15日の朝はいよいよ帰国の日。

送り火まではできんけど、どうか成仏してくださいと、前夜、しっかりお祈りした。(福岡では15日に送り火を焚くので)

明けて15日、幽霊さんの送り火がかなり気がかりだったが、帰国便を延ばすわけにはいかない。後ろ髪を引かれる思いで空港に向かった。が、空港に着いて搭乗手続きしようとしたら、空港全体が何か変。

え、なに? 飛行機飛ばないって? そんなアホな!こんなに天気いいのに。

どうも機体の故障とかで、来る予定の飛行機が来ないらしい。ええっ??(驚)

結局、航空会社の世話してくれたホテルに一泊することになった。


友人は現地の友達と映画を見に行ったが、私は供養があるので、その日は夜までお経三昧(^_^;)

ロウソクとインセンス買い足して目いっぱい焚き、しっかり送り火までやりきった。気づけば15日は終戦記念日。嗚呼・・・


翌日は何もなかったようにすいすい搭乗でき、しかもグアムではヒルトンにトランジット泊(食事まですべて航空会社持ち)。

ホテルの窓からプールの賑わいを眺めていると、南の島の出来事がすべて夢の中のことのように思えた。あれは一体なんだったのだろうか… 


さて、帰国してからの一番の関心は、フィルムカメラのあの写真に何が写っていたかってこと。さて、どうだったでしょう… 南無南無


あまりにホラーすぎて、当時、あわてて写真を廃棄したようで、今見ると、旅の後半の写真のネガがなく、それゆえデジタル記録にも残せていませんでした。これはこれで残念でなりません。


ネットから拝借した最近のミクロネシア。日本から近く、太平洋で一番美しい海でシュノーケリング楽しいですよ。鎖国が解かれたら是非。

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2020年1月15日

温泉旅~伊川温泉「こうの湯」(飯塚市)~

お正月&連休の慌ただしさも落ちついたこの時期、かねてより計画していた温泉ミニ旅に行ってきました。行先は、飯塚市のこうの湯温泉(伊川温泉)です。

ずいぶん以前、スポーツファミリーな生徒さんから、家族みんな、この温泉につかって、怪我や不調を治しているという話を聞いて、そんなに効果があるなら、いつかぜひ行ってみたいものだとずっと思い続けておりました。

実行する時がなかなか来ないうちに数年が経ち、今、ようやくその日がやってきたわけです。期待値マックス!

この温泉は、県内で最も天然ラドンの含有量の高い冷鉱泉だそうで、日帰り入浴も宿泊もできます。外観は昭和、館内も昭和です。




半露天な、太い梁が美しい大浴場は、この手のかけ流し天然温泉にしては珍しく、本当に「大」浴場でした。

HPより

ふつう、こういうかけ流し温泉は、こぢんまりした浴槽が多いものですが、こちらは、あっと驚く広さ。かなりの人が入っても、ゆったりな感じです。素晴らしい。

泉質は、放射性物質ラウジムから出来るラドンを豊富に含んだ水。
ラドン水がこんなにとろとろしてるなんて、初めて知りましたわ。
外には取水場もあり、地元の方が何人も、ボトルをかかえて来られていました。



★公共交通機関でのアクセス方法
JR新飯塚駅から、徒歩15分ほどのところにある飯塚バスターミナルから「伊川温泉」行きのバスがあります。ただし、1・2時間に1本という少なさなので、時間は事前にしっかりリサーチしておきましょう。バス代240円ほど。

1階が浴場、2階がお部屋になっています。昼は休憩、夕方からは宿泊もできますが、ちょっと特殊な宿泊システムなので、連泊はおススメしません。1泊がほどよいと思いますよ。ゆったり何回もお風呂に入れますし。
ラドン水の効果は、後日じわじわ出てくると思うので、乞うご期待!

朝食つき4200円の、超昭和なお部屋でした

さて、名残りを惜しみつつ温泉宿をチェックアウトしたあと、飯塚在住の修了生さんの案内で市内観光。

★麻生さんのお屋敷「麻生大浦荘」
こちらは、「筑豊御三家」のひとつに数えられた麻生家の初代、太吉の長男、太右衛門の住宅として建築された麻生一族の住宅のひとつ。数寄を凝らした和風入母屋書院造りが美しい邸宅です。大正末期の建築。時々、特別公開されているそうですが、通常は立ち入り禁止です。門構えのみ撮影。







★「旧伊藤伝右衛門邸」
休館日でした…涙。 写真なし。

★「勝盛公園」
飯塚市中心部にある市民の憩いの公園。大きな池には水鳥が遊ぶ。
厳寒の日でしたが、一回りしましたよ。

水鳥ではなく鳩とツーショット



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2019年4月16日

神仏巡礼2019~龍神と五色塚古墳(神戸市)~

3連続でアップしてきました帰省旅行記事、いよいよこれが最後です。
(追記を加えたので、長文です)

兵庫県最大といわれる前方後円墳が、五色塚古墳です。
垂水区にあり、山陽電鉄の駅から徒歩10分で行けるので、シーズンともなると、小学校の社会科見学で目白押しとなります。(拝観無料)

今回の帰省期間中は、学校がはじまって間もない時期だったので、見学の心配もなく、晴天にも恵まれて、ゆっくり大人の見学ができました。





美麗に復元されております。
この古墳のユニークなところは、平坦面に円筒埴輪列が巡らされているところです。はじめて行ったとき、なにこれ、教育委員会のサービス?なんて思っちゃいましたが、違う違う、ありのままの復元なのでした。

そして、壁面は細かな葺石で固められています。ピラミッドみたいやね。







 ただ、内部の調査は進んでいないようで、竪穴式石室があることは分かっているそうですが、どんなふうになっているかなど、説明がありません。

石室内部の鮮やかな装飾が有名な福岡の至宝「王塚古墳」とは真逆なアプローチですが、県内随一ということでは、負けず劣らずな兵庫の至宝です。いつでも無料で見られるというのも、魅力のひとつですね。

五色塚古墳をネットで調べると、パワースポットとしてヒットすると思います。
実際、この古墳の上に立ってみると、眼下に瀬戸内の海が一望でき、海路を支配した古代豪族のパワーを、ひしひしと感じます。

明石と淡路をむすぶ明石海峡大橋が望めます
赤紫光線も爆裂中!


そして、今回、特に強く感じたのは、空にたなびく龍雲たち。




 ただの、すじ雲やん・・・
と言うなかれ。
古墳の上で見ると、ただの雲とは思えません。

飛行機が飛んだあと飛行機雲ができるように、龍が翔んだあとには龍雲ができるそうです。この雲をみると、おおっ、龍神が遊んでいる!と思わずにはいられませんでした。



これには後日談があって、じつは昨夜というか今朝の未明、半覚半睡の変性意識状態になりました。花粉症で鼻がつまって息苦しく、寝返り打ちまくっていたとき、ふいに龍がご登場。

苦しいときは上にあがるんだよ。ほら、こんなふうに。

といって、龍はみごとなスパイラルを描きながら、天たかく舞い上がりました。

うわっ、龍ってやっぱりすごいパフォーマーなんや・・・
と、ビックリしながらも冷静に観察していたら、

やってみ。

うながされて、私も必死で宙をめざして飛翔をこころみました。
でも、生身の人間がそんなうまく翔べるわけないやないですか。
下手な飛翔をみると、龍はまたお手本を示してくれます。

くるくる、しゅー

やってみ。という暗黙の催促で、私もまた飛翔。

龍の先導で、繰り返し繰り返し、飛翔トレーニング。
夢なのか現実なのか、実際、ベッドの中で必死に背伸びをして伸びあがっていたのを覚えています。(疲れたわ…)

うちの修了生さんから、龍が自発的にパフォーマンスを見せてくれる、ということは聞き及んでおりましたが、実際、こんなにパフォーマーだったとは。

六甲山系の山々は聖山が多いとも言われていますが、六甲山に限らず、山には山岳系の神がすまっていて、神の眷属としての龍が山の近くには多いらしい。急峻な六甲山のふもとに開けた神戸市は、市街地全体が龍の遊び場なんでしょう。龍雲見ることいと多し。

いつか、龍神とご縁ができる日が来るんだろうなあと、ぼんやり予見していましたが、こんな形で縁が結べるとは、行けるときに、どこにでも行ってみるもんですな。



【追記】

龍神に詳しい方は、私の見た龍がどんな龍だったのか、気になると思いますので、追記しますね。

きらりの生徒さんたちは、見えたり聞こえたりサイキックな方が多いので、白龍や青龍の話をよく伺います。ですが、私はサイキックじゃないので、画像としては把握しにくいという悲しいサガをもっております。それゆえ、この龍についても、はて、どんな龍だったかなあ…と、考え込んでしまいました。記憶をまさぐっても、これといった像は浮かんでこない。ですが、あれこれ考えているうちに、ふと、ひらめくものが・・・




これです。
湊川神社の拝殿の天井に描かれている龍。
いつも見慣れているので、特別感ゼロですが、今回のように、たまに参拝すると、妙に懐かしく感じていました。

龍神の持っている金の珠は、ある人によると、記憶装置、記録媒体だそうで、縁を結ぶ人の個人情報を記録しておくそうです。

神社にわざわざ参拝に来る人は、縁を結びたい人たちですから、天井画の龍は、もれなく珠を持つ姿で描かれるのでしょう。

ただの参拝客でもそうなのだから、拝殿内で祈祷を受けるお客さんは、いわばプレミアムメンバー? しっかりどこまでもお世話させていただきます、な待遇になるのでしょうか。

そう考えると、お宮参りから七五三まで、人生の節目節目で、湊川神社で祈祷を受けてきた私は、知らずにプレミアムメンバーになってたわけですね。

やっと気づいたか馬鹿ちん…

そんな不敵な笑いが聞こえてきそうです。

ですが、悲しいことに、神の眷属である龍の活動エリアは、基本、地元中心だそうです。そんなに遠くまで遠征しないらしい。
私が大学進学とともに京都に引っ越したから、龍はきっと、「もう細かく面倒みてやれんなあ、しゃーないから、わしの代わりにこれでも付けとくか」といって、生身の人間をつけてくれたのかもしれません。はい、配偶者も「龍」です。

そんな龍神様の深謀遠慮・遠謀神慮に、いま、初めて気づきました。

地元守護に忙しい龍神を福岡まで呼びつけるのは気が引けるので、これからは、私が4次元5次元まで出向いて、龍神に会いにいきたいと思います。空間の壁がなくなれば、いつでもどこでもサポートしてもらえるでしょう。なんといっても、プレミアムメンバーですけん。(えっへん)


sakurako


2019年4月15日

神仏巡礼2019~湊川神社(神戸市)~

前回の続きです。

今回の帰省では、産土神社である祇園神社でのご祈祷だけでなく、湊川神社でもご祈祷してもらおうと計画していました。

湊川神社(楠公さん)は、JR神戸駅の真ん前にあるので、分かりやすいっちゃあ分かりやすいです。

そして、私たち姉妹は、このエリアで育ちました。
私についていえば、18で家を出るまで、ここに居ました。
幼いときから、遊び場といえば、楠公さんの境内か、隣の裁判所(神戸地裁)。

ただ、湊川神社は、楠木正成という人格神をご祭神としているので、産土神社にはならない、と鑑定士さんに言われて、そんなもんかいなあと。

ですが、やっぱりうちらの成長を見守ってくれた楠公さんは、真の産土神社のような気がします。その気になって参拝すると、すばらしいパワーを見せてくれました。




この画面中央の神社の額にご注目
オーブのような光が輝いています
熱烈歓迎されてる気がします


門から境内を眺める


そして、こちらが拝殿です。


太平洋戦争時の神戸大空襲で焼失したあと、再建するにあたって、焼けない素材のコンクリートを使ったそうです。不思議な免震構造のおかげで、阪神大震災時も無傷。
ちなみに、我が家も全員無事でした。
楠公さんのおかげと、町内の皆さんは喜んでいたようです。


この写真が一番のお気に入りです
楠公さんの愛を感じます
昔も今も、私たち、愛されてるんだなあと

で、社務所で御祈願の申し込みをしようと上を見上げたら、ななんとっ、御祈願料1万円からとな!? うわっ高杉やん・・・

福岡エリアは、どこでも5千円でした。
平野の祇園さんでお願いしたとき、6千円と言われ、うわっ高っ!と思ってたくらいなのに、楠公さん1万円!? ううむ…関西の相場なんやろか…

で、ご祈祷三昧するほど財布に余裕がなかったので、今回はスルーすることにしました。拝殿では、週末のせいか結婚式もしていたので、なかなか順番まわってきそうになかったし。

それで、ブラブラと、小さいときここでよく写真撮ったよね、という思い出の場所に足を向けてみました。

当時はまったく気にもとめてなかったけど、ここは楠木正成公の戦没地のようです。


ふと見ると、社務所に申し込めば中に入って拝観できると書いてあったので、また3千円くらいとられるかもしれんけど、いちおう聞いてみようと、巫女さんに聞いてみると、まったく無料で拝観と説明が聞けるとのこと。ひえぇ(*'ω'*)

で、歴史に詳しい神職さんに案内されて中にはいり、説明を聞きながら写真とらせていただきました。

奥の、しめ縄がはってある地点が、亡くなった場所と言われています。




説明をしてくださった神職さんが、また、えっらい詳しくて、かれこれ30分近く、ご講話を拝聴いたしました。

長々と楠公さんに守られて生きてきたけど、なにも知らなかった私たち。
ご祈祷をあきらめて、その代わりに、生まれて初めて知った楠公さんの詳細な由来。
ああ、長生きしてるとこんな瞬間も来るんだなあと、妹と大感激。
ある意味、ご祈祷より良かったよねと、満足度100%で参拝を終えました。

湊川神社御朱印


sakurako


2019年4月14日

神仏巡礼2019~祇園神社(神戸市)~

一年ぶりに、神戸に帰省しておりました。
ちょうど最後の?寒波襲来の時期と重なったせいか、むこうではソメイヨシノがまだ満開で、私にとっては二度おいしい春となりました。

さて、今回の帰省は、産土(うぶすな)神社でご祈祷をしてもらうというのが、メインの目的でありました。

で、さっそく行って参りました。
神戸市の平野というところにある祇園神社です。
ご祭神は、ご存じスサノオとクシナダヒメさまです。

車で行ったので、正面鳥居はスルーして、いきなり拝殿です。


この拝殿は、神楽殿兼用の社殿です。
ここで、御祈願祭もおこなわれます。

そして、こちらが、拝殿の背後にある本殿です。


赤紫光線あふれすぎて、私の愛機、欠陥カメラみたいですが、そんなわけじゃあないんですよ(涙)

本殿前まで行ってみました。






本殿の背後にまわってみたところ、ビリビリくる強いエネルギーが渦巻いておりました。神社の本殿裏側はエネルギーのたまり場?なので、回れるところはかならず回って確認しております。祇園さん、さすがやね。

御祈祷が始まる前、座って待ってるあいだに、こっそり撮影しました。


ご祈祷は、ごらんのとおり、春風の吹き抜ける拝殿(神楽殿)の中でおこなわれました。
が、春風とはいうものの、実質、北風で、桜の花びらと強風と、なんか凄まじいご祈祷になりましたわ。苦笑


祇園神社は、スサノオ神がご祭神ということになっていますが、じつはインド由来の神、牛頭天王(ごずてんのう)をおまつりしております。

この牛頭天王が何モノか?というのが、なにを読んでもはっきりしなかったのですが、こちらの祇園さんで、初めて、輪郭がはっきりしました。(ややこしいので説明はパスね)

もうひとつ新たに知ったことは、祇園系の神社といえば、祇園まつりの京都の八坂神社が有名で、実際、八坂神社から分霊した神社は全国にたくさんあるのですが、この平野の祇園さんは、八坂神社ではなく、牛頭天王総本宮である姫路の広峯神社から八坂神社へ分霊をお運びする途中、ここで一休みしたことから、開かれた神社だそうです。

そして、牛頭天王の第一のごりやくは、厄除け&病魔退治。

牛頭天王が産土神とは、縁とは異なものですなあ(しみじみ・・・)


祇園神社御朱印





sakurako


2018年5月9日

人生はおおいなる旅

旅好きな桜子ですが、近頃、ほんとうに、人生って旅だなあと痛感しております。
どこに行くか、どんな旅にするかは、やはり各人の好みで変わるんでしょうけど。

旅のお伴といえば、やっぱりこの方。
大天使ラファエルさんです。



なんでラファエルさんが旅人の守護神になったかという、そもそものお話を、聖書の中から要約してみました。いや、聖書というより、ウィキペディアですけど(笑)。

というのも、問題の『トビト記』は、『旧約聖書続編』に含まれていて、この『続編』が記載されているのは、一部の聖書のみなのです。あいにくうちにある聖書にはなかったもので。

さて、『トビト記』の概要をウィキさんに語ってもらいましょう。
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ニネベに暮らすナフタリ族のトビトは善行を積んでおり、ある日、危険をかえりみず殺されたユダヤ人の死体を埋葬した。
穢れをきらって庭で寝ていると、すずめの糞が目におちて失明してしまう。
さらに、ささいなことで妻をも疑ったことを恥じ、トビトは死を願う。(←真面目な方なんですね)

同じころ、悪魔アスモダイのせいで、夫たちが次々に初夜に死んでしまうことで悩む女性サラも死を願っていた。
神はこれを聞いて天使ラファエルを差し向ける。
その後、紆余曲折を経て、息子トビアの尽力で、トビトの目はみえるようになり、トビアはサラについていた悪魔を追い出してサラと結婚した。
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ラファエル活躍の詳細をみてみましょう。
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『トビト記』では、ラファエルは旅人の象徴である杖や水筒を持った人間の姿で現れ、「アナニアスの子アザレア」として、トビトの息子トビアの旅に同伴する。
ラファエルは、道中トビアを守り、トビアを襲った巨大な魚の胆嚢から処方した薬を使って、父トビトの目を癒した後で、自分がラファエルであることを告げる。(トビアさん「ええ~っ天使ぃ~!?」てなもんですわ)
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そんなこんなでラファエルは、姿を自在に変え、陽に陰に、旅人を守護してくれると考えられるわけです。

ショートトリップはもちろん、人生というロングジャーニーも守護してくれる有難い存在です。

気持ちの問題やね、とか、信じてたら心が軽くなるもんね、とか、自己暗示の一種やろ、とか思う方は、まあそれでも良いでしょう。
ラファエルパワーはそんなもんじゃないんですけど、こればっかりは体験してみないと分かりません。

大天使のパワーは、人間の知識では測り知れないものがあります。
しっかりつながって、長くお付き合いすると、分かってくることが沢山あります。

お店だって、一見さんより常連さんです。
何度でもお祈りして、大天使ラファエルと仲良くなってください。
きっと人生の良き伴走者となって、あなたを守護してくれることでしょう。





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2018年5月1日

春旅 vol.4 大山崎山荘美術館&サントリー山崎ウイスキー館

春旅、最後の記事です。

京都と大阪の境目エリアに天王山という歴史的山があります。
「今日の試合は両チームにとって天王山ですねえ!」などと使われる、あの天王山です。
秀吉と光秀の勝負を決めた古戦場です。

その天王山のある地域が、大山崎。

ここには色んなおもしろいスポットがあるのですが、私がいつも行くサントリー山崎と、一度だけ行ったことのある大山崎山荘美術館を再訪しました。

まずは美術館から。
ウィリアムモリスが開催中だったので、それも楽しみで行ってきました。

駅から徒歩10分くらいです。
住宅地で舗装されているとはいえ、天王山を登りますから、雨の日は足元注意です。
私は2回、滑りました(涙)。

趣あるトンネルが迎えてくれます。



画面に点在する白いものは、オーブではなく雨粒ですよ。




いつ行ってもなぜか紅葉が美しい。



この山荘の庭は絶品です。お手入れに、どれだけお金と心を費やしてるんだろうと感心します。
下の池は、夏になるとモネの池状態になります。












本館に到着。ここからは撮影禁止なため画像ありません。
常設展示には、モネの睡蓮などもあります。





 ひととおり見終えて、カフェで休憩。


テラスからは下界が見下ろせます。



すっかり目とハートが美に酔いしれました。

お次はボディと神経が酔いしれるサントリー山崎です。



昔は、いつ行っても閑散としていた山崎蒸留所。
行き当たりばったりで行って、見知らぬ者同士数名でほぼプライベートツアー状態。無料試飲まで丁寧にアテンドされて優雅に工場見学させてもらえた時代は、はるか歴史のかなたへ。

今は見学ツアーは予約2カ月待ちで、この日も、1週間前にサイトにアクセスしたのに、ウィスキーミュージアム見学の予約しか取れませんでした。きびしいわ~(涙)。試飲はもちろん有料です。






悪天候という条件もあってか、思ったほど人は多くありませんでした。

館内の入場者のほぼ半数は外国人。特に欧米系が多く、山崎はフランスで大流行中らしいので、それ系の方々が押し寄せております。



向こうで入手困難な「山崎18年」が人気のようで、そんなら私もと、1杯目はそれを注文。
2杯目は「響」のシェリー樽を注文。





「山崎」より「響」のほうが、波動が微細で、細やかな味わいを感じました。
まさに響く感じで、だから「響」なのかと、ネーミングの由来が初めて腑に落ちました。
好みは人それぞれでしょうが、私には「響」が旨かったな。

グラスの中の景色がおもしろい



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