仏教や仏像のことはよく分からなくても、なんとなく、慈愛に満ちたありがたさが感じられますよね。
そんならもっとよく知ったらどうかな?と思いましたので、ちょっと千手観音像の形と、そこに表されている観音様の心について書いてみたいと思います。(参考文献『仏像の声』西村公朝)
ここでは、カルナのシンボルイメージに近い、京田辺市三山木寿宝寺の十一面千手観音立像(国宝)にモデルを務めていただきましょう。
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さて、この観音像にはご覧のように手が無数にあります。
中央の真手を含めて、目立つ大きめの手が42本あり、箸くらいの細い手が960本あります。このようなお像を千臂像といいます。
また、千手観音像には、42本の手だけの像(42臂像)もあります。
功徳的にどう違うかと言うと、42臂像は現世にごりやくがあり、千臂像は過去・現在・未来という三世にまたがった大きなごりやくがあるといわれています。カルナレイキのシンボルの観音様は、この千臂像のほうです。
で、手のごりやくの内訳としては、まず、太い42本の手が現世利益です。あとの960本のうち、半分が過去の罪を帳消しにしてくれる手で、半分が未来に起きてくる苦しみを取り消し予約してくれる手だそうです。おお、我々凡夫にとって、じつにありがたい功徳ではありませんか。
で、そもそも、なんでこんなに無数の手をわざわざ表現するかと言いますと、これは千手観音菩薩の法力を表しているからなのです。どんな力があるかというと、それぞれの持物(手に持っているモノ)が得意技をシンボライズしています。
たとえば、法輪。これは、仏様の教えが広がることを表し、如意輪観音菩薩などが備えています。
錫杖は、六道を巡って人々の善心を起こすことを表し、地蔵菩薩の持ち物です。
宝珠は、欲しいものを意の如く出す如意宝珠で、財宝をもたらし、災いを除くとされ、如意輪観音や地蔵菩薩、吉祥天などの持物です。
宝剣は、力をもって魔障を払い、仏教に教化する力を表し、不動明王などの明王や天部の持物です。
羂索(投げ縄)は、衆生をもれなく救い取る道具で、明王や不空羂索観音などの持物です。
ほかにも、多聞天や毘沙門天が持つ、仏舎利(釈迦の遺骨)を納めた「宝塔」や、観音の持物で、煩悩に汚されない清らかさを表し、仏の真理(智慧)を象徴する「蓮華」など、多数の持物を持っています。
こう見ていきますと、ほかの仏菩薩の持っている法力が、千手観音にことごとく備わっていることが分かります。
我々凡夫には人それぞれに色々な願いがあり、すがりたい祈りたいという気持ちがあります。願いがひとつと決まっていれば、それ専門の仏菩薩にお願いすれば手っ取り早いですが、あいにく、私たちの欲望は「あれも欲しい、これも欲しい」で、拝む内容がころころ変わりがちです。その都度、専門の仏を探すのも大変な手間になります。
そういう悩みを、千手観音は一気に解決してくれます。なんといっても、様々な仏の功徳が合体した姿なので、なんでも聞いてくれる便利さがあるわけです。
健康問題で例えると、頭痛薬、胃薬、傷薬などの各種の薬ではなく、まとめて全部癒してあげますよという総合保健薬のような功徳があるわけです。
さて、頭部にも注目しましょう。頭部には仏・菩薩・天部といった仏様の頭が11体のっています。つまり、ここでも、すべての仏菩薩天の功徳を合体した姿だということが示されています。これら化仏たちは、千手観音の指令で、悩める衆生ひとりひとりのところに飛んでいって救うという使命を遂行するために、ここにスタンバっているわけです。
そして、千の手のひらにはそれぞれ一個ずつ眼があります。ひとりももらさず眼で見て、救ってくれるわけです。
そんなわけで、普通、短く千手観音と呼ばれる千手観音菩薩の正式名称は「十一面千手千眼観世音菩薩」もしくは「十一面千手千眼観自在菩薩」といいます。
以上、ざっと千手観音について説明しましたが、レイキ的にまとめると、こうなります。
我々が何かを成そうとするとき、それに関する専門知識だけあればいいかというと、そういうわけにはいきませんよね。多方面の知識や情報、アイデアなど、様々な側面からのアプローチが必要になりますし、また、そうしなければウマくいかないとさえ言えると思います。
病気を治すのでも、専門薬だけで治そうとしても片手落ちで、それ以外の身体の問題、病気を助長してしまった生活習慣、人間関係を含む環境、考え癖などの心の問題等々、様々な面からのアプローチが必要となります。
多種類、多方面、多くのサポートで事を進めていくときっとうまくいきますよ、ということを、千手観音は教えてくださっているように思います。
カルナレイキは、仏教とは直接関係ないけれども、千手観音菩薩のこういう慈愛に満ちた、オールマイティな、片寄りのない、過去現在未来にわたる大きなエネルギーを象徴しているように思われてなりません。
(シンボルの多さは、この手の多さを表していたのかと、改めて納得する私でした)
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