2013年4月29日

レイキヒーリング施術中の感覚

レイキヒーリングを受けているときの感覚は人によって違う、ということは「レイキ施術」のページにも書きましたが、多くの方が「温かく感じた」「手がカイロみたいだった」など、熱感を覚えるようです。これ、一見、当たり前みたいですが、よく考えると「なんでかなぁ」と思いません?

じつは、昨日もそんな感想をいただいて、そういえばなんでだろ?と、とっさに考えてしまいました。

手のひらが、カイロなみに熱々ってわけじゃないんですよね。
ヒーラーの手のひらの温度もたしかに多少は上がりますが、ヒーリー(ヒーリングを受ける人)が感じる熱さは、手のひらの温度じゃありません。

どうもそれは、手のひらから放出されたエネルギーが、ヒーリーの体の細胞の素粒子に接触し、働きかける際に生まれる熱なんじゃないかと思います。

科学的に、もっと正確に、分かりやすく解説した方がいらっしゃるのかもしれないけど、いまのところ、私はこういう理解をしています。高次のエネルギーは温かいもんだ、という雰囲気論だけじゃ納得いきませんもんね。皆さんはどうお思いになりますか。

また、レイキエネルギーは、じつは、ただ流すだけってわけでもないんですよね。ヒーラーの念でコントロールはしませんが、レイキエネルギーの種類もいろいろありますから、どこにどういう種類のエネルギー(シンボル)を使えば最も効果的に癒せるかということは、あらかじめ、だいたい予定を立てておくのが一般的です。(少なくとも、私はそうしてます)

そのうえで、実際、手を当てた時に「ヒビキ」を感じて変更したり、直感的にこれだ!と思ったものに変更したりしながら(レイキの導き)、ヒーリングしています。ゲストにとって最高の結果が出るよう、蔭ながら、涙ぐましい努力と工夫を毎回かさねております(笑)。

なので、使うエネルギーの種類によって、逆に涼しく感じたりすることもあるわけです。頭がヒートアップしている時、それ以上、熱くなりたくないですもんね。

また、ごくまれに、全身に冷たさを感じる方もいらっしゃいます。
前回は熱く感じたのに、どうして今回は冷たいのかしら?と、ご本人も不思議なようですが、体調により感覚は変わるようです。

どういう場合でも、臨機応変に対応しますので、安心してお越しくださいね。












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2013年4月25日

ウスイレイキの創始者臼井甕男師について


臼井甕男(ウィキペディアより)
ウスイレイキの創始者臼井甕男(ウスイミカオ)師はどのような人物だったのでしょうか。ちょっとご紹介しておきましょう。

師については、欧米の書物などでは、様々な「伝説」が紹介されていますが、菩提寺である西方寺(東京)の「臼井先生功徳之碑」が、今のところ、最も正確な資料と考えられているので、少々長くはありますが、ご紹介しておきます。
この碑文は師の逝去(1926年)翌年に門下生によって建立されたそうです。



碑文の現代語訳。(Webサイト「レイキの現在」より引用転載)

 修養と練磨によって自然に身についたものを「徳」といい、指導と救済の方法を広めて実践することを「功」という。功が多く徳の大きい人こそ、初めて偉大な開祖ということができる。古来から賢人や哲人、英才などで、新たな学問を興したり宗派を開いた人は、皆そのような人であった。臼井先生も、またその一人ということができよう。

  先生は新しく「宇宙の霊気に基づいて心身を改善する方法」を始められた。四方から噂を聞いて療法を学びたいという人や治療を受けたいと願う人たちが、一斉に集まってきた。まことに盛んなことであった。

 先生は通称を甕男、号を暁帆といい、岐阜県山県郡谷合村の出身で千葉常胤(平安末期から鎌倉初期に活躍した武将)を祖先とする。父の実名は胤氏で通称は宇左衛門、母は河合氏から嫁いでいる。先生は慶応元年八月十五白に誕生。幼時から苦学しながら努力して勉学に励み、その実力は友人たちを遥かに超えていた。

 成長の後、欧米に渡航し中国に遊学した。
しかし、出世という点では実力通りにいかす、不運でしばしば生活に困窮したが少しもひるまず、ますます鍛練に励んだ。

 ある日、鞍馬山に登って食を断ち苦行を開始したが、二十一日目に至って突然、一大霊気を頭上に感じ、悟りが開けると同時に霊気療法を得た。これを自分の身体で試し、家族にも験したところ、即座に効果が現れた。先生は「この力を家族で独占するよりも、広く世の中の人に授けて喜びを共有するほうがよい」といわれ、大正十一年四月、東京青山原宿に住居を移され、学会を設立して霊気療法を公開伝授され、治療も行われた。遠近から集まって、指導や治療を求める人の列が戸外にあふれた。

 大正十二年九月、関東大震炎による火災が起こり、けが人や病人が至るところで苦しんでいた。先生はこれを深く憂慮され、毎日市中を回って治療された。これで救われた人の数はどれほどであったか、とても教えることはできない。この緊急事態に際し、苦しむ人々に愛の手を差し伸べられた先生の救済活動は、おおむねこのような状況であった。

 その後、道場が狭くなったため、十四年二月、市外の中野に新築移転した。先生の名声はいよいよ高まり、全国各地から招かれることが多くなった。その求めに応じて呉にいき、広島へ向かい、佐賀に入り、福山に至る。この旅先の宿で、はからずも病にかかり、享年六十二歳をもって逝去された。

 配偶者は鈴木氏から嫁いでおり、名前は貞子、一男二女がある。
男の子を不二といい、臼井家を継いでいる。

 先生の生来の性格は温厚で慎み深く、うわべを飾らず、身体は大きくがっしりとして、常ににこやかに微笑を含んでいた。しかし、事に当たるときは明確な意志をもって、しかもよく忍耐し、極めて用意周到であった。非常に多才で、読書を好み、歴史や伝記、医学書、仏教やキりスト教典、心理学、神仙の術、呪術、易学、人相学に至るまで、すべて熟知されていた。思うに、先生の学芸経歴が修養練磨の基礎となり、修養練磨が霊気療法開眼の鍵となつたことは、だれがみても明らかである。

 顧みれば、霊気療法の主眼とするところは、単に病気を治療するだけでなく、天与の霊能によって心を正しくし身体を健康にして、人生の幸福を味わい楽しむところにある。ゆえに人に教えるに当たっては、ます明治天皇の遺訓を体得させ、朝夕五戒を唱えて心に念じさせている。

 五戒とは、一に今日怒るなかれ、二に憂うるなかれ、三に感謝せよ、四に業を励め、五に人に親切なれ。

 これは実に、修養のための大切な教訓であり、古来の聖賢が自らを戒めたものと同じである。先生はこれをもって「招福の秘法――万病の霊薬」とされ、教えの目的を明確に示されている。しかも指導方法は、できる限りわかりやすいことを主眼とされ、少しも難解なところはない。静座合掌して朝夕念じ唱えることに、純粋かつ健全な心が養われ、それを日常生活に活用させるところに神髄がある。これが霊気療法の、だれにでも普及しやすい理由である。

 最近は世相の移り変わりが激しく、人々の思想の変動が少なくない。
幸いに、この霊気療法を普及させることができれば、世人の道徳心の乱れを救うために、少なからず助けとなるにちがいない。決して、長期疾患や持病悪癖を治療する利益だけではない。

  先生の教えを受けた門下生は、すでに二千余人に達する。
その内、高弟で都下にいる者は道場に集まって遺業を継ぎ、地方にある者もまた、それぞれ霊気療法の普及に努めている。先生は逝去されたが、霊気療法は氷く世に伝え、広めなければならない。ああ、先生が自ら感得され、それを惜し気もなく人々に与えられたということは、なんという偉大なことであろうか。

 このたび、門下の諸土が集まって相談した結果、石碑を菩提寺の墓に建ててその功徳を明らかにし、後世に伝えることとなったので、碑文を私に委嘱された。私は先生の偉大な功績に深く感服し、さらに諸士が師弟の緑を大切にする心に感じ入り、あえて辞退せずにその概略を記述した。
これにより、後世の人が感嘆して仰ぎみることを忘れることのないよう、心から切望するものである。

   昭和二年二月
           従三位勲三等文学博士    岡田 正之 撰
           海軍少将従四位動三等功四級 牛田従三郎 書



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2013年4月22日

魔法のお白湯(さゆ)最強デトックス!

レイキとはまったく関係ない話ですが、心身の浄化というサロンコンセプトに合致した内容なので、こちらのブログにアップしますね。

さて、お白湯毒出し健康法ってご存じでしょうか?
知ってるけど試したことない?

じつは先週、家族が「お白湯がいいらしいよぉ~」と言い出したので、我が家でも白湯を作って飲んでみることにした。

作り方がちょっと凝ってるのねこれ。普通の白湯じゃありません。
もともとアーユルヴェーダの健康法なので、3つのドーシャのバランスを完全に整えて作らないといけない。3つのドーシャとはヴァータ(風)、ピッタ(火)、カパ(水)。

作り方は、まず浄水器を通したきれいな水とやかんを用意。
やかんは、可能なら、お白湯専用のをひとつ用意して。













やかんに水を入れて、コンロの火にかける。(IHや電子レンジは火を使わないので不可)

換気扇も回す。(風を起こす)

水が沸騰したら蓋をとって、さらに10分~15分ほど沸騰させる。
その際、大きな泡がブクブク立ってるくらいの火加減にする。(風を入れている)

こうして作った白湯は、風火水の3つのドーシャが完全に整った魔法のホリスティックドリンク!



風(ブクブクしてます)

さて、湧いた白湯を飲めるくらいの温度にして、すするようにゆっくり飲みましょう。
残りは保温ポットに入れてね。

飲み方は、朝一番に飲むのと、3度の食事の最中に飲むのが効果的な飲み方。
あとは喉が渇いたタイミングで飲む。冷めたら効果なし。沸かし直しも効果なし。
1日に飲む白湯の量は700~800ml程度。
飲みすぎると必要な成分まで排出してしまうので要注意。

詳細は『白湯毒出し健康法』蓮村誠 PHP文庫をご覧ください。

でですよ、この白湯を作って、まる一日飲んだところ…
な、なんということでしょう…

翌日、お腹に激痛が走って、その日はトイレが住所になってしまいました…
出るものがなくなっても、まだ腹痛は続き、下から出ないなら上からと、ひどい吐き気まで…
トイレで苦しみながら、こ、これは一体何に当たったの??と思いだしても、心当たりナッシング。心当たるのは白湯のみ。

くぅぅ~これが噂の好転反応ってやつですかい…

さいわいにも、恐るべき好転反応は丸一日で収まり、その次の日は台風一過の爽やかさ!お腹は超快調で、本に書いてあるとおり、「アーマ(未消化物・毒素)」が抜けきった感じがした。白湯が甘くておいしくて、余計なものはなにも食べたくなくなり、ビールもなし、過食もなし。便通も快調で、本当に内蔵から不要物を出してくれて、体全体を温めてくれる感じがする。特に、朝一番に飲む白湯は、まさに胃腸のお風呂。アーマをきれいに洗い流して、水分補給してくれる。

お白湯ひとつでこんなすごい効果があるなんて、わざわざ西式断食道場まで行った私の努力っていったい… と思ったくらい感激的な魔法の飲み物。その名は「おさゆ」!

ただ、本を読んでも、私みたいに劇的な好転反応に苦しんだ人はいない模様。
人によって反応の出方はそれぞれだと思うけど、なんの元手もいらずできる白湯健康法、だまされたと思って一度お試しあれ。
ちなみに、夏場は塩をひとつまみ入れると、熱中症対策にもなりますよ。


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